漫才:持ちネタの数は少なくていい

さてさて、そろそろM-1準決勝を見に出かけましょうか。
若手芸人たちが、ある意味この1年をかけて仕上げてきた(または仕上げきれなかったところもあったりw)するネタを、どばっと一気に鑑賞できるというのは、やっぱりなんとも贅沢。

ときどき、「(好きなコンビのネタを良く見に行くが)いつみても同じ漫才を掛けている」と残念がっている、お笑いライブ好きな人の感想を見かけることがあります。(何度かここにも書いたことがあると思いますが)私はその気持ちってあんまり分からないんですよね〜。

漫才って、コントのように量産できるものでは無いから、(上岡龍太郎さんあたりの受け売りですが)鉄板が3本あれば十分一流だと思います。その3本は、いつどこで見せても、爆笑をさらうようなクオリティーでなければいけませんが。

だから私は、「いつもの鉄板ネタ」を見せられて文句を言うことはありませんが、「鉄板ネタ」のその日のクオリティーが悪い場合は大いに文句を言います。「あんな良ネタを面白くなくさせるなんて、なんて勿体ない!ネタが可哀相!」ってねw

ま、ライセンスの場合、テレビ収録用とか色々場面で使い分けてる感じはありますが、営業とルミネの舞台ではほとんど1種類みたいなので、それをせめて2本(2種類)にして欲しいなとは思います。
でも、ルミネで見る他の先輩コンビや同世代コンビの漫才と比べて、面白くないほうだと思ったことは無いです。クオリティーは安定してるほうだよねぇ。
『サービス』のネタは、たまのテレビで掛けてるけど、『浴衣DE漫才』の時にライブ(カメラ有り)でフルバージョンを観たら面白かったなぁ。そのテレビ放映では、ネタの半分くらいがカットされてましたが(なんちゅう勿体ない・・・)。

逆に、『しょっちゅうネタの種類は変わるけれど、どれもややウケ』みたいな漫才だと、やっぱりファンにはなれないなぁ。

そういう意味では、強制的にネタを渾身の2本に絞って磨き上げるM-1っていいのかも。ああでも、「4分」の制約に適応したネタを作らないといけないっていうマイナスはあるか〜。
M-1を卒業したら、みんな、10分、15分やっててもずっと笑わせてくれる漫才を作っていってね〜と思います。